A SONG FOR YOU レオン・ラッセル逝く

大通公園のホワイト・イルミネイションが点灯され、札幌は一年で最もロマンチックな季節を迎える。そんな大通公園8丁目に面する大通公園ホテルがひっそり閉館した。雪だるまがトレードマークの小さなビジネスホテル。1970年代初めから同じ佇まいでそこにあった。

訃報が相次いでいる。レナード・コーエンが亡くなり、リリィが逝った。レナード・コーエン本人の歌は苦手だったが、他人が歌うと名曲だとわかった。ジェニファー・ウォーンズのカバー・アルバムは今でも愛聴盤だ。名曲「ハレルヤ」も多くの歌手に歌われている。リリィとは一度だけ酒を飲んだことがある(30年以上前の大昔の話)。とても明るい人で飲みっぷりも良かった。腕を組んではしゃぎながらすすきのを闊歩した。楽しく飲んでいたのに途中から彼女は姿を消した。探したら隣のゲイ・バーですっかり人気者になっていた。映画「リックヴァンウィンクルの花嫁(2016)」の演技は素晴らしかった。ご冥福をお祈りします。

「レッキング・クルー」と呼ばれた1960~70年代半ばまで活躍したスタジオ・ミュージシャンのドキュメンタリー映画が今年日本公開され、特典映像だけで3時間以上あるDVDも発売された。レッキングクルー関連の情報は数年前に出版された「レッキングクルーのいい仕事」という本など近年活発なので、映画自体からの新たな発見は少なかったけど、様々なミュージシャンへのインタビューで構成される特典映像は見応え充分だ。レオン・ラッセルへのインタビューが抜群に面白い。人を食った彼の話をどこまで信じていいのかわからないけれど、14歳でジェリー・リー・ルイスのバックバンドに採用され音楽家としてのキャリアをスタートさせ、2年間ツアーに参加していたという。ゲイリー・ルイスとプレイ・ボーイズの仕事もレオンのものだが彼は全然気に入っていなかったようだ。ちなみにゲイリー・ルイスの父親はジェリー・ルイスという喜劇役者、ジェリー・リー・ルイスとは別人なのでお間違えなきように。幼少時の病気で手と足に欠陥を抱え、音楽家として一人前になるまで10年長くかかったというが、これも謙遜だ。ピアノ、ギター、管楽器・・何でもござれの天才ミュージシャンだった。ザ・ベンチャーズのキーボードも彼のものと言われている。僕がポップ・ミュージックに目覚めた頃、すでに彼は若くして第一線のスタジオワークをこなしていたわけだ。

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今でも細々と3~4曲の印税が入ってくるが(スーパー・スター、ア・ソング・フォー・ユー、マスカレード・・・)とても借金を返せない額なのでツアーを続けていると語る。細々どころかそれらの曲の印税だけでも莫大なものと思うが、一体いくら浪費したのだろう。すべてにおいて規格外で1970年代を語るとき、外せない人だった。だった、と書くのが悲しい。


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宮田あやこ CD「ADIOS LIVE in TOKYO」完成

36年前の1980年7月21日、僕は当時やっていたcafé&bar CASEY JONESのお客さんたちとおんぼろバスを貸切り、総勢20数名で厚田町あたりの海へ出かけた。その年は寒い夏でその日も薄日の差す20度をやっと超すくらいの気候だった。しかし若者ぞろいの海水浴は寒さなんかへいちゃらで、潜ってウニを採ったり、ジンギスカンをしたり、ビール缶でパーカッション合戦をしたり、青春を(僕はちょっと年を取っていたけどまだ20代だった)謳歌した。宮田あやこはそこにはいなかった。なぜならその日は彼女のデビュー・アルバム「LADY MOCKIN BIRD(エピック・ソニー)」の発売日で東京にいたからだ。そんな大切な日に札幌で海水浴に浮かれていて僕はどこか後ろめたかったのか、前日まで一日二箱は吸っていたハイライトをその日禁煙した。その日以来僕はタバコを吸っていない。

自分の人生を季節に例えれば1980年はまさに真夏だった。燦々と太陽光が降り注ぎ、怖いもの知らずで、時間は使い切れないくらいあった。失うものなど何もなかったし、怖くなかった。しかし、終わりのない夏がないように、いつか季節は移ろう。その後多くの責任を負う人生が待ち受けていた。

あやこのニューアルバム「ADIOS LIVE in TOKYO」の発売日が7月21日となった。別にその日を意識したわけではない、CD製作をしている台湾の工場が台風の影響で閉鎖され、CD到着が7月20日になると業者から連絡が来たからだ。でもその偶然にちょっぴり因縁めいたものを感じ嬉しかった

宮田あやこ東京ライブは5月29日、30日の二夜行われた。休憩を入れ3時間近くのライブにもかかわらずお客さんは退屈せず皆満足そうにニコニコとして会場をあとにした。長年ライブを企画していると、ライブ終了後のみなさんのお顔でおおよそライブの評価がわかる。記録用に録音された音源を何日かして聴いてみた。驚いた。何曲かはすごいエネルギーを伴っていた。この日のため集まった細井豊、マイク・ダン、山下泰司の熱い演奏と、観客との温かな交流が、あやこに普段以上の力を与えたようだ。この音源を残すのは僕の役目、と思い立つのにそんなに時間はかからなかった。30日の演奏をそのまま収録することにした。しかし一曲一回さらっただけのリハーサル、前日一日ライブを終えていたとはいえ、ミスが何箇所もあるし、さすがにちょっと逡巡した。ライブCDを制作するなど暴挙といえるかもしれない。

当日会場に観客として来ていたあやこデビュー時のプロデュース&エンジニアリングの松本裕氏から自宅に電話があった。ライブの出来の素晴らしさを伝えたかった、といった内容の電話だった。その場で閃きライブ音源CD化に向けてマスタリング/編集をお願いできないか申し出た。その場で快諾していただけ、ライブCD実現に向け舵を切った。36年ぶりの再会、そして共同作業。フルサークルという言葉がある。人生一周りしてまた新たな地平が開けるといった意味だが、そんな人生の摂理を感じた瞬間だった。

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リンダ・ロンシュタットがパーキンソン病により歌手引退宣言をしていたこと、キャロル・キングが「ジェイムス・テイラーとのコンサートでもう思い残すことはない」、と実質引退をしていること。さらにグレン・フライの突然の死去。前を歩いていると思っていたミュージシャンが次々といなくなってしまう。東京ライブの2部はそんな偉大な音楽家に敬意を表したアメリカ西海岸トリビュート的な構成にした。そしてライブCDはこの2部をそっくり収録している(あやこオリジナル「ALASKA」はカット)。「名曲を集めただけでしょ」、言いたい人には言わせておこう。どれだけこれらの曲が大切なものだったか分かる人にはわかる。

「ADIOS」のページをGERSHWIN HP上に作った。興味のある方はこちらもどうぞご覧下さい。http://bar-gershwin.com/adios/そこに素敵な一文を寄せてくれたのは現在札幌に住む中学校1年生で知り合って以来の友人、音楽ジャーナリスト山本智志君。宮田あやこの36年前のデビューアルバムのライナーノーツは山本君の奥様で音楽評論家水木まりさんにより書かれた。温かだったが辛辣でもあった。エピック担当者は素晴らしい一文と掲載した。そこで彼女はあやこの歌はまだ稚拙だが、歌い続けることが大切と書いた。歌い続けた36年の結果が今回の「ADIOS」である。

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SHINING RIGHT DOWN ON ME 宮田あやこ3年ぶりの東京ライブ

2016年5月28日、29日、30日、31日の4日間、東京は自然のエアコンディショナーが働いたかのような気温で、宮田あやこを迎えてくれた。前回も5月の下旬にライブは行われたのでちょうど3年が経った。その間僕は母を、あやこは父を見送った。今更ながらだけれど月日の移ろいの速さを思う。もはや♫Time is on my sideとローリング・ストーンズが歌った時代ではない。時間は待ってなどくれない、ましてや味方などではない。

稲系のアレルギーにより札幌であやこは苦しんでいた。毎年この時期に見舞われる症状だがアレルギー薬は声域を狭めるので飲まない。しかし東京に着くとピタリと症状は収まった。会場の新宿ミノトール2は新宿5丁目にある。36年前あやこがエピック・ソニーからデビューしたとき、デビューお披露目ライブを行いその後毎月ライブをした「ルイード」がすぐ目の前にあった。ビルは今でもあるが違うテナントになっている。また当日は花園神社のお祭りで縁日があり新宿3丁目界隈は熱気にあふれている。

新宿ピットインに併設されているリハーサルスタジオでライブ初日当日午後1時から初リハを行う。メンバーは札幌から同行した山下泰司(ピアノ)にベテラン音楽家、細井豊(キーボード、その他)マイク・ダン(ベース)。3人が共演する部分を一回だけさらう。事前に音源、譜面を送っていたとは言え、皆さんの負担は相当のものであったように思う。しかし一曲目のリハを終えたあと山下泰司が「至福の時です。」とつぶやいた一言がライブの成功を予見していた。バック・コーラスが大変と考えていたのだけど、マイクは伝説のスーパーバンド「パラシュート」でヴォーカルを勤めていたし、細井君はイーグルスやオーリンズと海を隔てて張り合っていたバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」のメンバーだ。そのハーモニーワークは日本のバンドでは群を抜いている。その二人に山下泰司が加わり二声、三声で歌われる。あらかじめ山下の書いた譜面に細井、マイクのアイデアが加えられ、あっという間に素晴らしいハーモニーが完成。その他の曲もアレンジャー山下泰司の手際いい進行で滞りなく終了。

会場のミノトール2は収容数60数名の程よいスペース。どの席に座っても音響が良い設計になっていて感心した。PAミキサーが常駐し、照明も兼ねる。ピアノはヤマハ外枠にスタインイウェイが入っているのだそうだ。硬質だが確かにスタインウェイの音だ。札幌のジャズピアニスト故福居良さんはここのピアノが好きでこの会場よくを利用していたそうだ。昨年の11月が最後のライブだった。

29日(日)30日(月)と二日間の公演。休憩を挟んでの2部公演。メンバーが全員揃う1部後半、2部は構成が同じだが、1部半ばまでの山下泰司とのデュオ部分は曲をガラリと入れ替えた。初日の模様を簡単にレポートしよう。

山下泰司がコール・ポーター作「NIGHT&DAY」を軽やかに華麗に奏でる中宮田あやこニコニコと登場。歌い終え「ようこそ札幌へ」と挨拶。会場がどっと沸く。今回のライブは
札幌GERSHWINの雰囲気をそのまま東京にお届けしようといった企画だ。お客様はかつて札幌勤務していた方、出張でいらっしゃっている方、札幌生まれで東京で働く方、全国の宮田あやこファンと様々だ。初日は日曜日ということもあり、ご夫婦でいらっしゃった方も多い。

2曲目はお久しぶりねと「WHAT’S NEW」。今回のライブは事前にリクエストを募っていた。3曲目はリクエストに応えて「LULLABY OF BIRDLAND」と続く。

4曲目は会場にいるピアニスト大山泰輝がステージに呼ばれ、あやことジョージ・ガーシュウィン作「SOMEONE TO WATCH OVER ME」。あやこのスタンダードアルバム「BEWITCHED」でかつて共演した曲。お互い見つめ合い呼吸を合わせ、ドラマチックなバラードをヴァースから見事に披露する。大山のピアノは音楽の粒が降り注いでくるかのよう。美しい。あやこも完璧に歌い上げる。今年放送されたNHK朝ドラ「あさが来た」で聴こえてきたピアノは大山によるもの。現在ソロ・アルバムを制作中だ。

5曲目はビートルズの「ノルウェイの森」。6曲目の前にちょっと長い語りが入った。あやこが小学生の時札幌で母親がわりに生活を見てくれた叔母が先日重篤な病で病院に搬送され、意識がない。叔母は東京生まれ東京育ち終戦後米軍用のデパートで働き英語を喋るハイカラな人で、幼いあやこにドリスデイの歌などを教えてくれていた。病院に駆けつけそんな懐かしい歌を意識のない叔母の耳元で歌ったら、叔母はニッコリ微笑み曲に合わせるように顔を揺すったのだ。叔母の脳裏には若かった頃の素敵な思い出が蘇ったのかもしれない。そばにいた叔父や従妹は涙した。そんな話をはさみ叔母との思い出の曲ドリス・デイの「QUE SERA SERA」「ケセラセラ、なるようになるわ。先のことなどわからない」の部分を日本語で歌う。細井豊の間奏のアコーディオンが素晴らしく拍手が沸く。叔母はこのライブの5日後に息を引き取った。

「心が折れそうになった時にこそ笑顔を、あなたの顔を喜びで満たして」と語り、これもリクエストに応えてチャップリンの「SMILE」。マイク・ダンのベースが加わり、細井が間奏で感動的なハーモニカを奏でる。

8曲目はビートルズの「LOVE ME DO」。細井のハーモニカが、マイクのベースがご機嫌に鳴り響き山下のピアノがブルースを思いっきり表現する。あやこのヴォーカルも全開。

一部最後の曲はロック/ポップ史上燦然と輝くフィル・スペクター制作、「BE MY BABY」。なぜあやこがこの曲を歌うか。それは山下泰司のアレンジ&ピアノがあまりに素晴らしいからだ。バイヨンリズムのバスドラ鳴り響くイントロの呪縛から多くのカバーは逃れられないのだけど、山下の編曲は軽いボッサリズムを基調とする。それに呼応しあやこもCODAで軽やかでメロディアスな極上のスキャットを披露する。この曲の作者エリー・グリンウイッチ自らが歌うワルツ仕立ての「BE MY BABY」と山下泰司のこのアレンジは僕にとって二大カヴァーだ。
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撮影 向井宣裕

2部はレオン・ラッセル曲「THIS MASQUERADE」からスタート。間奏で細井が印象的なハーモニカを吹くのだが、翌日はこの部分フルートを吹いた。この二日間のライブで細井が使った楽器はアコーディオン、ハーモニカ、フルート、オルガン、エレピ、ストリングシンセ、ピアノ、パーカッション、そしてコーラス。リハではサックスも試していた。驚くべきマルチ・プレイヤーである。マイク・ダンはニュージーランド出身、オーストラリアでプロ活動を始めた。最初は学校でチェロを学びベースに転向、オーストラリアではデビュー前のビージーズ兄弟と演奏活動を行っていたそうだ。日本に来て40年を超える。そんなメンバー紹介をたっぷりと行う。

長いメンバー紹介を終え2曲目は「SUPER STAR」。レオン・ラッセル/ボニー・ブラムレット作のこの曲はカーペンターズのヒット曲でお馴染みだが、あやこはジョー・コッカーのツアーで歌われたリタ・クーリッジヴァージョンに触発されてこの曲を歌い始めた。歌詞もグルーピーを歌ったものに戻す。マイク・ダンのあやこの歌に寄り添う物悲しい表現が素晴らしい。マイクの歌声には惚れ惚れさせられるものがある。いつかアーロン・ネビルとリンダ・ロンシュタットのようなデュエットが実現できたらと思う。

3曲目はボズ・スキャッグスの「SLOW DANCER」山下泰司の書いたマイク・細井・山下による3声のコーラスが素晴らしい。曲はより感動的なものとなった。

4曲目に歌われたのはリンダ・ロンシュタットの「BLUE BAYOU」。リンダの十八番でさすがにあやこも手を出せなかったのだが、一昨年札幌でリンダトリビュートを行った際この曲を外すわけには行かず、あやこは初めて歌った。最近になってようやく曲を自分のものと出来たようだ。哀愁と温もりが同居するあやこの歌唱はリンダとはまた違った世界を作りあげた。テックスメックス風の細井の奏でるアコーディンが素晴らしく、この日この曲が良かったと多くの方が感想を述べてくれた。

5曲目は今年亡くなったイーグルスのグレン・フライに捧げて「DESPERADO」。同時代を生きた細井がアコースティックピアノを弾く。この曲はあの時代のバイブルのような曲だ。グレンへの鎮魂歌かのように歌われる。リハで一回合わせただけなのにあやこと細井の息はぴったりだ。

6曲目はあやこがデビューした1980年第二弾シングルとして発売された「ALASKA」。北海道出身のあやこのイメージに合わせ松本隆が書いた歌詞は、失恋で冬に北へと向かった女性が流氷の町で自分をリセットするといったストーリーなのだが、あやこは「失恋女性が北へ向かう、まるで演歌の世界だけどさすが松本隆さんですねえ、強い女性を描いてくれました。」と会場を笑わせ、併せてこの日会場にいらしていた松本隆さんの実弟であやこを発掘してくれたプロデューサーの松本裕氏を紹介する。36年ぶりの再会だった。ジャクソン・ブラウンを意識して作られたこの曲、山下、細井の力強い演奏が素晴らしかった。

7曲目はデビュー当時あやこのステージの定番曲だったリンダ・ロンシュタットの「YOU’RE NO GOOD」から始まってキャロル・キングの「IT’S TOO LATE」へと繋ぐ。長いメンバーのアドリブソロが続き10分にも及ぶ演奏になった。メンバーの力量の凄さを改めて思った。バンドのバランス重視を心がける山下のピアノがその役割から解き放され躍動する。パーカッシブな素晴らしいプレーだった。山下は今回のライブの陰の立役者である。彼の存在なくして今回のライブは成り立たなかった。このライブを機に彼の才能が一層花開くことを願う。

最後の曲はキャロル・キングの「WAY OVER YONDER」。鎮魂歌として3・11直後からこの曲をあやこは歌い始め、3年前の東京でもこの曲を歌った。しかしまた熊本で大惨事が起きてしまった。飢えや寒さのない希望の場所、黄金の太陽が自分に降り注ぐ場所がきっとあるはず、と歌われるこの曲は当日会場に居た熊本からご参加の江藤夫妻にそして悩みを抱える人に向け歌われた。江藤氏は家を立て直さなければならないほどの被害を受けたにも関わらず、この日のライブを楽しみに復旧に当たられたのだそうだ。スピリチュアルで荘厳な山下の前奏から始まり、あやこの歌が次第に熱を帯び細井のオルガンが間奏で炸裂する。最後を飾るにふさわしい歌、演奏だった。

アンコールは「ADIOS」。1989年にジミー・ウエッブにより書かれた曲だが、最初に録音したのがリンダ・ロンシュタット。17歳で彼と手を取り合ってカリフォルニアへと向かい住んだ女性が、夢をもう一歩で実現させるところで彼と別れカリフォルニアに別れを告げ北へ向かうといった内容の歌だが、今回のライブ構想はこの曲との出会いから始まった。かつて憧れの地であり多くの夢を育んでくれたサザン・カリフォルニア及び音楽家たちへの感謝をあやこは熱唱する。

ライブ最後の曲は参加してくださった皆さんへの感謝と繋がりを祝福して「YOU’VE GOT A FRIEND」。会場のみなさんもコーラスに参加して下さり、コンサートを幸せに終える。両日とも観客の皆さんが素晴らしかったとマイク、細井両氏が何度も語ってくれた。素晴らしいソロへの拍手、絶妙な歓声も随所で聞けた。出演者のみならずライブ企画者にとっても至福の時だった。1部55分,2部1時間25分。コンサートを終えマイク・細井両氏は目を赤くしてあやこに握手を求めた。

ブログにアップするのが僕の役目なのだけど、今回は正直活字にするのがしんどい。もっとライブの余韻に浸っていたい。僕はプロの物書きではないので活字では音楽の魅力の一端しか伝えられない。音楽評論家の小尾隆さんが素敵な文章にしてくださった。さすがプロの仕事だ。http://obinland.exblog.jp
当日参加の方たちと心にそっととっておきたいライブだったけれど、何らかの形で当日参加できなかった方たちにもお届けできる方法を今考えている。


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宮田あやこ LIVE in TOKYO 2016のお知らせ

全国各地で桜が開花し、ようやく北海道にも桜前線が上陸したようだ。札幌は4月28日が開花予想、GW中に満開になる予定とのこと。そんな希望にあふれたシーズンのはずなのに熊本/大分県を中心とする九州地方で大きな地震災害が起きた。いつ地震がやむのか、地震学者がお手上げの今回の地震、被災された方たちが一日も早く日常の生活に戻られますように。心よりお祈りいたします。

宮田あやこ東京ライブが5月29日(日)5月30日(月)両日行われる。3年ぶりの東京ライブだ。前回は観客の方の温かな声援もあり、とてもいい演奏会になった。しかし33年ぶりの東京ライブということもあり、ちょっと力みがあったライブだったようにも思う。札幌~東京を意識せず札幌のライブをそっくり東京に持っていけないか、今回はそんな普段着の演奏会にできたらと考えている。

といいつつ高い入場+飲食代金をいただくライブだ。満足して頂けなければわざわざ東京まで出かけていって歌う意味はない。普段のGERSHWINでのライブを基本に、それなりのサプライズも用意する。今回ピアニストは二十年近く一緒にやっている山下泰司さんが札幌から同行するのだがゲストには頭を悩ませた。ライブ当日3時間ほどしかリハーサルができない。技術面はもちろんのこと、あやこといい人間関係を築いている音楽家がその条件だ。まずボトムを支えてもらうベーシスト。咄嗟に思い浮かんだのがマイク・ダンさん。あやこのデビュー当時バックバンドの一員として活動してもらっていた。当時スタジオワークの音楽家として売れっ子だった。あやこバンドで一緒だった今剛、井上鑑などとパラシュートというバンドを作り、玄人?ロック/フュージョンファンを唸らせていた。当時CMで歌われる英語の歌はマイク・ダンだらけだったこともある。全米進出を図ったパラシュートの4thアルバムは全曲マイクのヴォーカルだった。

電話をしてみた。「いいよ~楽しみだね」二つ返事で快諾していただけた。ギャラのことなんか全然きいてこない。今年亡くなったギタリスト松原正樹さんが1981年松山千春の仕事でマイクと札幌にやってきたとき、「どうしてマイクと組むの?」とよく聞かれるのだけど「マイクはずっと僕や今剛の先生だったんだ」と僕に語ってくれた。共演してみるとその凄さがよくわかる。

昨年GERSHWINを訪れてくれた細井豊氏と久々に何曲かプレーして、育ってきた、影響を受けてきた音楽が一緒なのだと改めて思った。説明しなくとも欲しい音が彼のピアノからは自然と生み出されてくる。今回はライブの2部を1970年代アメリカ西海岸トリビュート的な内容にしようと考えているので、同じ時代の空気を浴びた彼の参加は心強いものだ。結成40年を超えるセンチメンタル・シティ・ロマンスを続け(昨年はアメリカコンサートを実現させたそうだ)竹内まりや、伊勢正三、加藤登紀子など彼をファーストコールピアニストとして指名する歌手は多い。マルチプレイヤーの細井さん今回はキーボード,アコーディオン、ハーモニカなどであやこの歌に彩りを添えてもらう。

今回のライブ1部は普段のGERSHWINライブそのままの雰囲気選曲でお送りする。アーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュウィン~フィル・スペクター~バート・バカラック~ビートルズBAR GERSHWIN サブコピーにあるようにPop Music Of The 20th Centuryのめくるめく世界をお届けする。

2部はあやこが多大の影響を受けたアメリカ西海岸の音楽家たちへ敬意あふれるプログラムとなる。レオン・ラッセル~リタ・クーリッジ~キャロル・キング~イーグルス(グレン・フライ)~リンダ・ロンシュタットなどの曲で構成される。アンドリュー・ゴールド、ケニー・エドワーズ、ドン・グロルニック、カルロス・ベガ、ダン・フォーゲルバーグ・・・
今はこの世にいない素晴らしい音楽の記憶を残してくれた数々の音楽家への想いが溢れるライブ。こんなライブをやれるのは宮田あやこをおいてほかにはいない(ほかにいるとすれば、山下達郎抜きの竹内まりやかな)。

イーグルス張りのコーラスワークが魅力のセンチメンタル・シティ・ロマンス細井豊、ヴォーカリストとしても一流のマイク・ダン、二人に山下泰司を加えたバックコーラスの妙も合わせてお楽しみください。アットホームな温かなライブにしたいと考えている。そんなリビング・ルームライブにどうぞご参加ください。

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宮田あやこ LIVE in TOKYO 2days
2016年5月29日(日)30日(月)
午後6時開場 7時開演
新宿ミノトール2 東京都新宿区新宿5-11-4龍生堂ビルB1
¥6,000(ワンドリンク&ディッシュ付き)

出演
宮田あやこ(ヴォーカル)
山下泰司(ピアノ)
マイク・ダン(ベース)パラシュート
細井豊(各種楽器)センチメンタル・シティ・ロマンス

お問い合わせ&ご予約(電話かメール)
BAR GERSHWIN 011-221-2605(午後6時~)
          fantasista_miyata@nifty.com
新宿ミノトール2 03-334-2655(午後3時~午後10時)

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ADIOS  グレン・フライ逝く

昭和30年代風に言うと、我が家にテレビが来た。50インチあるというのに配達員一人が台車で軽々と運んでくる。脚の取り付け、設定は自分でやる。モニターだけのあっさりしたもので、さほど大きさを感じない。装飾品でもあった昔がちょっぴり懐かしい。

最近のテレビはインターネットもやれ、NETFLIXという動画サービスもついている。一ヶ月間は無料ということなので、様々なテレビドラマ、ドキュメンタリー、映画を観たが、映画「ゴッド・ファーザー」1とパート2をまたもや観てしまった。1970年代に作られたこのマフィア映画の傑作は、ある映画のメグ・ライアンのセリフを借りると「男って皆、ゴッド・ファーザーが好きね」ということになる。壮絶な縄張り争いもさる事ながら、本来の自分を殺して、家族、マフィア組織、を守ろうという男の悲哀が多くの男どもの共感を呼ぶのだろう。

このところミュージシャンの訃報が続いている。昨日はモーリス・ホワイト(EW&F)、昨年来からはアラン・トゥーサン、ナタリー・コール、デビッド・ボウイ、ポール・カントナーが逝ってしまった。人の生き死にはその人なりの運命で、合掌して見送るしかないが、イーグルスのグレン・フライの訃報には、特別な感慨があり、様々な思いが去来した。

グレンの死因は関節リウマチによる合併症とあった。この病気は自己免疫疾患で、簡単に言ってしまうと自分の免疫が自らの身体を攻撃し関節を壊すというものだ。症状が増すと激痛を伴うものとなり強力な痛み止め薬が日常必要になる。女性がかかる病気とも言われ男性の罹患率は20%と少ない。なぜ発症するか、DV、極度のストレスなど心因性の作用を多くの人が指摘しているが、原因はまだ解明されていない。この病気で死に至ることはないが、薬による重篤な副作用の可能性を持つ。この10年ほどで症状を劇的に食い止める新薬が開発されたが免疫力が極度に落ちるのだ。潰瘍性大腸炎、肺炎などグレンの直接の死因は新薬摂取の副作用が引き金になったのではと推測される。なぜ僕がこの病気を知っているか?それは宮田あやこが36年間戦っている病気だからだ。
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グレンの訃報を聞いたある人は、「悪党は長生きするはずなのに」と感想を述べた。確かに、イーグルス双頭のドン・ヘンリーがどこか弱さを持ち多くのファンを持つのに比べ、グレンは自信にあふれ、正体を隠した鋭い眼光を持ち、メンバーを恫喝、脱退に追いやりイーグルスを思い通りに操った男としてのイメージが強い。しかし、世界最高のバンドと言われるまでになったイーグルスをファンのイメージ損なうことなく、過去に栄光があったと言われることなく歩み続けるバンドとして存続させるため、いかほど人としてのエネルギーを必要としたことか。常人には計り知れない。この病気と15年間戦い力尽きたという事実を知り、彼の隠し通した苦悩を知った気がした。彼は命を賭してイーグルスを守り続けたのだ。グレンの代わりのメンバーを探してイーグルス再活動を言う人もいるけど、グレン抜きのイーグルスなど断じてありえない。ドン・ヘンリーがそんなことをするわけがない。

「We Are The EAGLES From Los Angels」グレンはコンサートの冒頭いつもそうアナウンスメントした。しかしメンバーに一人としてロサンジェルス出身者はいない。グレンはデトロイト/ミシガン、ドン・ヘンリーはテキサスの信号もないような田舎町の出身だ。ロサンジェルスは彼らの憧れの街だった。サザン・カリフォルニアには見果てぬ夢があった。そんな時代の記憶を実現させたイーグルスは連綿たるウエストコースト音楽の系譜に重要な一ページを加えた.。California Dreamin'の終焉を歌った「ホテル・カリフォルニア」の大ヒットは彼らの永い活動歴のほんの一コマに過ぎない。
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最高のロックンロールを演奏し、可愛い女の子とねんごろになり、一旗揚げること。男子と生まれてそれ以上のことがあるのか。グレン、君は充分やり遂げた。


ADIOS  

17歳で家を出た
あなたと共に
カリフォルニアの浜辺

マルガリータを一晩中飲み明かした
あの古びた酒場
カリフォルニアの浜辺を離れて

私を不誠実だったと思わないで
そんな気難しい顔をしないでね
アディオス、さよなら

我々は成し遂げられなかったけど
でももう少しまで近づけた
アディオス、さよなら

北へ行こう
丘が冬の緑の場所
あなたから去らなければならない
カリフォルニアの浜辺から

行くところは
水は澄み、空気は清らか
カリフォルニアの浜辺よりも

終わらぬ夏の我々の夢
壮大すぎていたかもしれない
アディオス、さよなら

あの丘の真っ赤な夕陽が懐かしい
でもあなたがいないのが一番寂しい
アディオス、さよなら

ADIOS
WORDS&MUSIC BY JIMMY WEBB
SUNG BY LINDA RONSTADT

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WHEN I'M SIXTY-FOUR 今からずっと先のおはなし

僕の住む札幌は11月の降雪としては62年ぶりという大雪に見舞われ、あっという間に冬が始まった。大慌てで冬タイヤへ履き替えにガソリン・スタンドへ向かったが、スタンドは意外に静かだった。雪国に住む人は、「備えあれば憂いなし」が徹底されている。「今年の冬は遅いね」などと脳天気に構えていたのは僕だけなのかもしれない。大通公園二丁目のミュンヘン市が始まった。幻想的な冬を演出する素敵な空間。これから迎える過酷な冬を過ごす住民へのご褒美だ。

クリスマス商戦もたけなわ。そんな時期ビートルズの「1」が発売された。2000年に出たビートルズのナンバーワンヒットシングル曲を集めたアルバムがさらにデジタル・リマスターされ生まれ変わった。特典映像付きのセットもあり、発売日はNHKのトップ・ニュースにもなったようだ。Photo_8


今の若者は洋楽を聴かなくなったと言われて久しいが、ビートルズはどうなのだろう。音楽の専門学校でロックの歴史講座を受け持っている友人に言わせると入学生の半数はビートルズを知らないそうだ。その話を聞いて最初は驚いたが、これからの時代を作っていくのは彼らなのだから勝手にさせておこう。

僕がビートルズを映画館のニュースで知ったのは1964年のこと。特に「りんご」と呼ばれる鼻の大きな男のことが気になった。しかし彼らの音楽に魅了されるほどまだ自分は熟していなかった。ビートルズに自分を重ねるようになったのは、Photo_14


「ペニー・レイン」/「ストロベリー・フィ-ルズ・フォーエヴァー」が発表された頃のように思う。高校受験に失敗しいじけていた頃にこの二曲が発表された。極上のポップなメロディーを持つ「ペニー・レイン」の方がヒットしたが、その頃の自分の気分は「ストロベリー・フィールズ」にフィットした。ジョン・レノンが少年期に過ごした家の近くにあった孤児院をモチーフにしたこの曲は、それまでのポップ・ソングの概念を覆すもので、ビートルズは明らかに変貌を遂げようとしていた。その頃歌詞の意味など全然わからなかったけれど。


「サージェント・ペパーズ」が発表されたのは、英米では1967年の6月。その頃のビートルズはシングル曲をアルバムに加えない方針だったのでペパー構想にあった「ペニー・レイン」「ストロベリー・フィールズ」同月に宇宙中継された「アワー・ワールド」で歌われた「愛こそはすべて」はペパーから外れた。この3曲が加わっていたら「サージェント・ペパー」は世紀の名盤になっていただろう。
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この三曲が外れたことで、A面トップ曲候補に浮上したのが「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」。当時ちょっとした流行になったニュー・ボードビル・サウンドの先駆けともなった曲。今からずっと先のこと、64歳になり髪が薄くなってもヴァレンタイン、誕生カードやワインを贈ってくれる?僕はヒューズを取り替え、君は暖炉のそばでセーターを編む。庭いじりをしたり草を抜いたり、これ以上望むものはある?永遠に僕のものと言ってくれる?そんな僕を64歳になっても必要としてくれる?食べさせてくれる?といった内容を持ついつか訪れる人生の黄昏時を歌った曲だ。

ビートルズプロデューサージョージ・マーチン自作著「メイキング・オブ・サージェント・ペパー(水木まり訳)」によると、この曲はポールが当時64歳になった父親に捧げた冗談ソング、ボードビル物へのひやかしと捉えられているが、それだけではなくポールの「地獄に対する個人的見解」の歌なのだそうである。歌詞の裏を読めば「年をとるって最悪だね。平凡、単調、空虚、貧困、決まりきった仕事」。Photo_12


映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」において「ポールのおじいさん」が重要な役で登場する。映画でビートルズは爺さんを徹底的にやっつけた。爺さんをネタに古臭いものの否定にかかったのだ。老人は厄介で、狡猾であることが描かれる。そして最後には爺さんの機転でビートルズは救われるのだ。ポールが10代の頃に書いていたと言われている「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」は様々な屈折した老人への感情が込められてるのだろう。でなければ、一筋縄でいかない「サージェント・ペパーズ」にこの曲が加われるわけがない。ポールはこの曲をコンサートで未だに歌ったことがない。
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映画「ガープの世界(ジョージ・ロイ・ヒル監督)」で絶妙に使われていましたね。

自分がいつの日か64歳になるなど、宇宙の存亡と同様想像を絶するものだった。時間というお金では買うことができない未来が無限にある、はずだった。1966年12月6日は「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」のレコーディング・セッションが始まった日だそうである。49年前の今日だ。そして僕はあと三日で「地獄」の64歳を迎える。


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ザ・ヴェンチャーズ初見参 ありがとうドン

結成40年センチメンタル・シティ・ロマンスのキーボード奏者として、また売れっ子プレイヤーとして様々なレコーディング、ライブに引っ張りだこの細井豊さんがガーシュウィンを訪ねてくれた。女優の岸恵子さんの自作小説の朗読会の背景音楽を、ピアノ、アコーディオン、ハーモニカなどで独奏する仕事のための札幌入りだった。細井さんの計いであやこは朗読会を鑑賞し、終了後は楽屋で岸恵子さんご本人に紹介していただけた。意外に小柄だが、高いヒールを履きこなし、82歳とは思えない凛としたたたずまいに圧倒されたそうだ。昭和を代表する大女優である。


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僕は同じ82歳のギタープレイヤーの引退公演に行ってきた。その名はドン・ウィルソン。言わずと知れたザ・ヴェンチャーズのリーダーにして最後のオリジナルメンバー。テケテケギターのパイオニアのひとりである。このクロマチック・ラン奏法から発せられたエレキ音が雷に変わり脳天を打ち抜かれた若者が1960年代半ばに続出した。「続出」がどの程度の割合かは多くの意見があるところだが、中学校のひとクラスに数人でも全国規模では相当な数になるはず。僕も雷に打たれた一人だがそれは中学1年生の頃、小学校まではエレキ音が響く家を見つければ、ガキっ子たちと「不良、不良」と窓を指さしていたのだから、人生どう転ぶかわかったもんじゃない。

1965年、日本でエレキブームが起きたヴェンチャーズ二度目の来日公演、札幌では道新ホール(定員650名)での公演だったそう。僕にとって当時小遣いはシングル盤を買うだけで飛んだのでライブを見るなどという発想はなかった。そんなこんなでヴェンチャーズを生で聴く機会は一度もなかったのだが、今回のコンサートはドン・ウィルソン最後の公演であることを知り、ヴェンチャーズのドン(首領)のドンに仁義を切らねばとチケットを早々に購入した。

2015年8月3日(月)札幌ニトリ文化ホールに到着してみると、入場が遅れたのか会場前は長蛇の列、当日券は「売り切れ」とあった。2400名収容の会場だからこれはたいしたものである。列に並んだ、昔はチョイワルだったかもしれない先輩諸氏、同輩、今では初老のオヤジ集団。夫婦連れも数多く見られる。

ステージは「クルエル・シー」からスタート。中学校時代のスキー学習、スキー場のスピーカーから流れるこの曲には文字通り痺れた。純白のゲレンデが蒼い海原に変わった。メンバーの二人は亡くなったが、ステージで演奏される曲目はこの50年間ほとんど変わっていない。しかし、かつての栄光にすがり巡業をおこなう音楽家に対して「ヴェンチャーズ興業」と揶揄していた自分の独断は撤回しようと思う。全国津々浦々今でも多くのファンを持ち、50年間それらの人たちに「若さ」を提供し続けたのだ。その間の努力たるや並大抵のものではなかったであろう。78歳のリード・ギター、ジェリー・マッギーの「朝日のあたる家」は想像していたよりずっとかっこよかったし、テクニックは今でも素晴らしい。メンバーは皆真面目に誠実に粛々と仕事をこなしていた。

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ドン・ウィルソンはデビュー当時の資料を見ると身長175センチと記されているが、ステージの彼は背中が曲がり、身長も随分縮んで見える。しかし、ギターを持つその姿は誇らしげなものであった。この50年間ステージのアンコール曲はドラムソロが延々と続く「キャラバン」が定番だったそうなのだが、今回は「ダイアモンドヘッド」「パイプ・ライン」のメドレーだった。ドンがまさに(リード)リズムギターといった趣でステージのフロントに立ち「テケテケテケ」の連発。多少指がもつれようと、入りを忘れようとそれがなんだ。有終の美を飾るというのはこういうことなのだ。縮んだはずのドンがそのときは大きく大きく見えた。


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「ファイブ・イージー・ピーセス」を覚えている?

BAR GERSHWINでは毎月一回第三月曜日に「GIRL’S NIGHT IN GERSHWIN」という名の催しがある。ピアニスト山下泰司の伴奏でさまざまな楽器、歌の方たちが熱演を披露するイベントだ。初心者から腕達者まで参加は自由だが、タイトルにあるように女性限定とさせていただいている。月一回の発表会を皆さん心待ちにしてくださっているようで、先月で始めてから一年がたった。

20代から60代まで幅広い年齢の方たちが参加しているが、ヴォーカルで参加の方が一番多い。英語の歌を軽やかに歌うような方たちばかりなので皆さん聡明で趣味も幅広くお持ちの方たちばかりだ。ほぼ最年長参加のKさんは、B.バカラックやE.コステロなどの難曲をレパートリーにしている。ご自身映画のブログを長く続けておりそこではプロ顔負けの鋭い映画評を読むことができる。

そのKさんと映画「ファイブ・イージー・ピーセス」がひょんなことから話題になった。映画「イージー・ライダー」は今の時代、鑑賞に堪えうるかといった話題がきっかけだった。今では忘れ去られているこの「ファイブ・イージー・ピーセス」、1970年に作られたアメリカ映画で、ボブ・ラフェルソンが監督しジャック・ニコルソン主演カレン・ブラック共演、作品賞はじめアカデミー賞4部門にノミネートされ、当時評論家今野雄二さんなどが絶賛し日本での評価も高かった。映画通の方ならお気づきかもしれない、監督のボブ・ラフェルソンは1960年半ばの「モンキーズ・ショー」の立案者で監督を務め、「イージー・ライダー」にも出資しあの時代の波にうまく乗った人である。「イージー」とタイトルがダブるように「イージーライダー、その後」的な趣がこの映画にはある。


期待されたピアニストであったにもかかわらず、現在はあらゆる責任を回避し(ラストシーンは妊娠した彼女を置き去りにする)、その日暮らしを続ける主人公(ジャック・ニコルソン)はあの時代の象徴的な人物像だったように思う。今の時代の視点からみるととんでもなく情けない男であるが、戦い終えて日が暮れて・・・あの時代こんな男をどこか許容するムードがあった。皆つかのまのやさしさに逃げ込んだ。

音楽でもハードなロックよりも内省的なシンガー&ソングライターの音楽が支持された時代だった。思わせぶりの内容の曲が世の中にあふれた。今では気恥ずかしくて聴けない曲が多い。でも、なのだ。スチューデントパワー(学生運動)に参加した者も、ヒッピー・ムーブメントに賛同した者も、ノンポリを通した者もあの時代の空気の中で自分なりの生き方を探していた。近道を行った者も遠回りしてしまった者も今じゃそれなりの道を歩いているんじゃないかな。あの頃の思想(生き方)にとらわれている人ほどひょっとして立ち止まったままだったりして。

今の自分の視点で昔を振り返ると、きっと皆穴があったら入りたくなってしまうのだろうけど、そんな自分を愛おしんであげよう。自分なりに精いっぱいやっていた、きっと。

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ダイアナ・クラール「WALLFLOWER」よみがえる珠玉の名曲たち

英国人歌手ジョー・コッカーが亡くなった。世に彼の存在を知らしめたのは「ウッドストック・ミュージック・フェスティバル(1969)」への出演だった。ビートルズののどかな曲が真っ黒のブルースに変貌する「With A Little Help From My Friends」の熱唱は忘れられない。その頃まだ10代だった僕には十分すぎる衝撃だった。その後映画にもなったレオン・ラッセルなどとの「Mad Dogs&English Man」コンサートでその名を不動のものとする。彼の特徴はそのだみ声によるソウルフルな歌唱だった。一聴しただけで彼と分かる歌声。もし彼やロッド・スチュアートが美声だったらここまで歌手としてのキャリアを積めたのだろうか。ロック・ジャズにおける悪声はヴォーカリストの価値を高める場合が圧倒的に多い。

カナダ出身のダイアナ・クラールも特徴あるハスキーヴォイスが持ち味の歌手である。彼女のデビューの時レコード会社はヴォーカリスト/ピアニストどちらで売ろうか悩んだそうである。結局シャーリー・ホーンばりのスロー・バラードを得意とする弾き語りのヴォーカリストとして売り出すのだが、一流のピアニストの腕よりも二流のそのだみ声の魅力に賭けたのだろう。現在彼女はポール・マッカートニーのアルバムに呼ばれるほどの押しも押されぬ超一流のジャズ・ミュージシャンである。

そんな彼女の新譜「Wallflower」を聴いた。どんな経緯でこのアルバムが制作されたかは知らないが、プロデューサー&アレンジにデイビッド・フォスターを迎え60年代、70年代、80年代の超ど級の名曲ばかりが選曲されている。よくもここまで揃えたと感心する名曲たち。ほとんどの曲が彼女のヴォーカルスタイルに合ったスロー・バラードに編曲されている。一曲めはママス&パパスの「夢のカリフォルニア」。オリジナル曲の持つ時代性も特徴も見事に排除され、スローボッサ風にアレンジされたこの曲がアルバムトップ曲とは意表を突かれた。さすがデイビッド・フォスター仕事人、商売人だ。

ほぼ全曲にゴージャスなストリングスアレンジが施され、アルバムを格調高いものにしている。参加ミュージシャンもコーラス、デュエットにグラハム・ナッシュ、スティーブン・スティルス、ティモシー・シュミット、ブライアン・アダムス、マイケル・ブーブレなど、演奏ではディーン・パークス、ジム・ケルトナーがいい味を出したサポートをしている。ノン・ビブラートに近いぶっきらぼうなダイアナの歌唱スタイルでは表現しきれなかった曲もあったが、デイビッド・フォスターの編曲はそれを補って余りあるものだ。ぼく個人としてはデュエットのマイケル・ブーブレが素晴らしい、ギルバート・オサリバン「Alone Again」。グラハム・グールドマン&エリック・スチュアート作10CC「I’m Not In Love」ボニー・レイットやリンダ・ロンシュタットもカバーしているランディ・ニューマン「Feels Like Home」。ポール・マッカートニーをして「この時代に(1980年代)こんなメロディーが残されていたとは」と驚愕せしめたクラウディド・ハウス「Don't Dream It's Over」のカバーが気に入った。素晴らしい。

久しぶりにリッチな(物、心両面で)アルバムを聴いた気がする。今この時代に、こんなアルバムを作ってしまったデイビッド・フォスターに拍手。

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去りゆく2014年 あなたたちを忘れない

今年(2014年)も師走を迎えた。様々な出来事があった一年だったけれど、11月には高倉健氏の逝去があった。TVで追悼番組が放送されたがNHKのドキュメント(再放送)が興味深かった。3・11以来毎日聴き続けている曲があってそれは山下達郎の「希望という名の光」だそうだ。また本番前には控え室でリラックスするため必ず好きな音楽を聴くそうで、収録された日はニーナ・シモンの「ミスター・ボージャングル」が流れていた。最期まで役者を貫いた人で、私生活は謎に包まれていたが、この音楽センスだけから見ても世間に流布する「健さん」とは相当かけ離れた実像があったのではと想像する。

そんな高倉健を「大根役者」と切り捨てた田中次郎名物館主の名画座「蠍座」が閉館するそうである。僕と同い年と思われる彼の経営姿勢にはシンパシーを感じていた。世代でくくる安易さを承知して書くがポスト団塊と呼ばれるわれわれの世代は健さんのセリフではないが「不器用」なのだ。団塊の世代の人たちのように要領よくやれない。お情けにすがったり、頼ったりできない。リーフレットに書かれた彼のお別れの文章は、潔よいものであったが読みようによっては未練溢れるものであった。18年は短かった。もっと続けて(戦って)欲しかった。

狸小路に70年間あった「中川ライター店」が閉店するそうである。札幌の男子ならすべてが知っている、玩具屋(と一言で言い表せないのがこの店の深さでもあった)。扉を開けたらもうそこは夢の世界。TVドラマチャック・コナーズ主演「ライフル・マン」のあのライフル銃がカウンター内に飾られていた。欲しくて欲しくてずっと眺めていたが親は買ってはくれなかった。振り返れば、手に入れたものよりも手に入らなかったものへの記憶の方が強いような気がする。そんなものだらけだった「中川ライター店」。いつまでもそこに在って欲しかった。

高倉健氏の死去が伝えられた日に、アメリカ映画監督マイク・ニコルズ氏逝去を知った。高倉健氏と同い年だった。彼が映画「卒業(The Graduate )を撮ったのは35歳の時。その当時は随分オヤジと思っていたのだが、今振り返ればよくその歳で撮ったものだ。アメリカではベビー・ブーマー世代(アメリカの団塊世代)に圧倒的に支持された映画であるが、日本では多少タイムラグがあるようで公開当時高校生であったポスト団塊世代によりインパクトを与えたように思う。映画「卒業」がなければ、僕の人生の軌道は違っていたかもしれない。僕にとって人生で最も大切な映画だった。高齢になっても映画を撮り続けたマイク・ニコルズ、「卒業」以上の映画は作れなかったが、「卒業」の後「愛の狩人」「キャッチ22」と続けざまに送り出された問題作にも衝撃を受けた。

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Breaking Good!宮田あやこリンダ・ロンシュタットを歌う

アメリカ人気テレビドラマ「ブレイキング・バッド(Breaking Bad)」が終了した。本国では2008年から2013年まで制作されたドラマだ。海外ドラマフェチのあやこに面白そうなドラマがあるよと教えられたのは今年の夏前。ラッキーなことに再放送があったので一気に全62話を観た。ニュー・メキシコ州アルバカーキに住む真面目な肺ガンに冒された高校の化学教師がブルー・メスという極めて純度の高い麻薬を製造し大金を得、悪に身を染めていくドラマなのだが、そのスピーディーなストーリー展開と人の一生とは、家族とは、善悪とはなどを併せて考えさせられる優れたドラマだった。また内容もさることながら使われる音楽の秀逸なこと。ストーリーに合った歌詞を持つ曲が選ばれているのだが、最終回ではエンディングにバッド・フィンガーの「Baby Blue」が使われたし、ジェイムス・テイラー、ノラ・ジョーンズ、アメリカ、JJケール、モンキーズ、トミー・ジェイムス&ションデルス、パット・ブーンなどの曲が実にさりげなく流れるのだ。このドラマ自体に60’s&70’sのアメリカ映画に対するオマージュ的なものが随所に見られ、数十年前の曲が最近の曲に混ざってもなんの違和感を持たず聴くことができる。アメリカ音楽の底の深さを実感させられたドラマでもあった。

宮田あやこコンサート2014「リンダ・ロンシュタットに捧ぐ」を終えた。この日本で,しかも札幌でリンダ・ロンシュタットの曲だけで構成されるコンサート(Alascaは宮田あやこオリジナルソング)が行われること自体AMAZING!である。(自画自賛)。リアル・タイムで彼女の曲を聴いたものとして、リンダはこの日本ではさほど人気がなかった。日本公演も単独公演は二度だけ。だから彼女の名を冠にしても、おそらく観客動員には結びつかないといった予感はあった。予感は残念ながら当たってしまった。

リンダ・ロンシュタットという歌手はアメリカ音楽を具現した存在だった。アリゾナ出身の彼女はメキシコとのボーダーに生まれ、ヒスパニックの血も受け継いでいる。リンダの音楽を聴くということは様々なエッセンスのミクスチュアであるアメリカ音楽の豊潤な世界を体験することでもある。

宮田あやこコンサート2014年はそんなリンダの世界を通して、アメリカ音楽と自分自身の音楽をたどる旅だった。1部はジョージ・ガーシュウィン、リチャード・ロジャーズなど1920年~50年代の楽曲。2部はリンダがブレイクしあやこがプロデビューした70年代の楽曲で構成された。

バンドはこのところ一緒にやってるメンバー。あやことの呼吸も徐々にあってきた。ピアノ&編曲は山下泰司。最近の彼のプレイには目を見晴らされるものがある。ジャズだけではなく自由な音楽の表現者として大きく羽ばたいた。1部ではピアニストとしてスケール感と繊細さを併せ持った演奏を、2部では編曲者としてバンドのバランスを重視し、かつメンバーの能力を存分に引き出した。今回のコンサートの成功の最大の功労者は彼だろう。

数年前からセクション(ジェイムス・テイラーはじめ数多くのシンガーのバックを務めたユニット)のようなバンドを持ちたいと考え、メンバーを集めていた。ドラムの出田寿一はパーカッショニストとしても活動しており劇団四季の札幌公演の打楽器は彼によるものである(もうひとりは黒田氏)。ジム・ケルトナー、レボン・ヘルムの名を好きなドラマーの第一に挙げる彼のドラムは的確で、70年代のシンガー&ソングライターの曲を好きな方なら誰でも彼のドラムを気に入るだろう。来て欲しい時必ず来てくれる、痒いところに手の届く卓越した演奏家である

ベースの釜鈴徹はエレキ&ウッドベースを弾きわけ、あやこの世界を支えてくれる。よく観察していると彼はあやこと一緒に歌っているのだ。歌っているかのようにプレイしている。ポール・マッカートニーのベースが好きだというだけある。その風貌とも相まって頼れるベーシストである。選び抜かれた音で紡がれるグルーブ感は彼ならではのものである。


古舘賢治はいいジャズ・ギタリストがいるよとの評判を聞き、ライブを聴きに行った。しかしそこでの彼はジャズの枠ではくくることのできない、多彩な音楽性を有しており、加えてヴォーカリストとしても(特にハーモニーワーク)に卓越したものを感じた。ソロアルバムを持ちアレンジャーととしても活躍し(佐々木幸男など)M-TOY BOXのメンバーとして全国を回っている超多忙な音楽家だが、今回のコンサートではギタリストとしてはじけてくれた。一部のアコースティックギターワークもさる事ながら、エレクトリックサイドの二部での彼のプレイは当日全ての観客が魅了されたと思う。特にステージ後半「Lose Again」「君の友だち」「Alaska」「悪いあなた」におけるギターワークはアンドリュー・ゴールド、ワディ・ワクテルなどのプレイをリスペクトし今の時代の感覚で蘇らせてくれた。素晴らしいプレイだった。

終演後ロビーで現在札幌に住む水木まりさん(ジャクソン・ブラウン、ニール・ヤング、ジョージ・マーチン本の翻訳家。)と話していたら、ギタリストの佐橋佳幸さんから今回とそっくりな構成のリンダのコンサートがあったと聞いていたそう。「偶然だったのね」と彼女は驚いていたが、こんなコンサートを企画できて幸せだった。もうこれが最後のコンサートだったとしても全然OK。

宮田あやこの歌はリンダに対する敬意と愛情あふれるものだった。パーキンソン病の症状が悪化、車椅子での生活を余儀なくされているというリンダ本人に聴いてもらいたかった。


Photo

撮影 向井宣裕


宮田あやこコンサート2014
「リンダ・ロンシュタットに捧ぐ」セットリスト。

1部
1. I’ve Got A Crush On You
2. Falling In Love Again
3. I Love You For Sentimental Reasons
4. Cry Me A River
5. You Took Advantage Of Me
6. Someone To Watch Over Me
7. But Not For Me
8. What’s New

2部
1. Crazy
2. I Will Always Love You
3. Blue Bayou
4. Lose Again
5. You’ve Got A Friend
6. Alaska
7. You’re No Good
8. Desperado

Encore
1. It’s So Easy
2. Good Night

●2014年10月13日(祝月)
●ことにパトス
● 宮田あやこ ヴォーカル
 山下泰司 ピアノ、キーボード、コーラス&編曲
 出田寿一 ドラム
 釜鈴徹  ウッド&エレクトリックベース、コーラス
 古舘賢治 アコースティック&エレクトリックギター、コーラス

音響 榎本真也(ラバースエージェンシー)
照明 大橋はるな


 

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A Tribute To Linda Ronstadt~     「リンダ・ロンシュタットに捧ぐ」           宮田あやこコンサート2014

今年も7月21日を迎えた。この日には、特別な感慨がある。宮田あやこのデビューアルバム「Lady Mockin’ Bird(レディー・モッキン・バード)」(エピックソニー)がリリースされた日なのだ。1980年のことだ。人生には節目が何度かあるというけれど、この日はまさにそういった日だった。

1960&70年代の空気の中には素敵な歌があふれていた。カラオケなどなかった。歌いたいものは皆ギター片手に歌い始めた。あやこもそんな中の一人だった。プロ歌手になろうなどと考えたことはなかった。たまに好きな歌を、お気に入りの音楽仲間と披露できればそれで十分だった。

が、しかし運命の神様は突然やってくる。あやこがこれを最後と決めたステージのライブテープが東京の音楽関係者の耳にとまり、1979年2月にレコーディングの話がやってきたのだ。最初に僕が電話を受けたのだけど、半信半疑でありながら、一方では来るべきものが来たとの感慨にとらわれた。しかし、オリジナルを持たないあやこの歌がおいそれと通用するほど甘い世界ではないことは理解していた。結婚をしていたし、そろそろ子供を欲しかった、歌をなりわいにするなど想像できなかった。プロ・デビューの話はこれまで歌ってきたことへの評価、ご褒美と考え、お断りすることにした。

リンダ・ロンシュタットが初来日をしたのはその翌月3月。リンダの大ファンだった我々は、友人にチケットを手配してもらい公演初日の神奈川県民ホールでのコンサートを前から4列目の席で観た。オープニングは「Lose Again」。衝撃だった。しゃべりもほとんどなくひたすら歌に没頭するリンダは素晴らしかった。

この上京でレコーディングの話を持ち掛けてくれた松本裕氏と会い、お断りしようと考えていた。松本裕氏は当時まだ28歳ではあったがフリーのレコーディングミキサーとして、久保田麻琴&夕焼け楽団、鈴木慶一&ムーンライダース、上田正樹、オレンジ・カウンティ・ブラザーズなど僕らが気になる音楽家の多くを手掛けていた。録音は日本の他のミキサーとレベルが明らかに違った。西麻布の松本氏のマンションで話し合いの場を持った。何の縁もゆかりもない北海道の既婚シンガーをデビューさせようなどという無茶さに 音楽への純粋さを感じた。実兄が作詞家の松本隆氏で、はっぴいえんど人脈に連なれるかも、という甘い考えもめばえた。リンダのコンサートの余韻が覚めていなかった我々は心が揺れていた。それまでの決心はどこへやら、松本氏の「この日本でリンダに負けないレコードを作ろう」が殺し文句だった。パンドラの箱は開けられた


紆余曲折があり、様々な人との出会い別れがあり一年半後、デビューにこぎつけた。いろいろな無理がたたったのか、デビュー後半年であやこは体調を崩し、歌手活動継続を断念した。プロとしてやっていくにはもっと強い気持ちが必要だったのだ(このあたりの話は長くなるので機会があったらまた)。あやこのシンガーとしての第一章は終わった。

二人の子を授かり、1985年僕とあやこはカフェ・ハートランドという店を始めていた。自家焙煎珈琲とケーキに食事、店には1970年代80年代の音楽が流れていた。ピアノも置かれた。しかしあやこがそこで歌うことはなかった。そんなときリンダ・ロンシュタットの新譜を聴いた。「What’s New」と題されたアルバムはアレンジャー、ネルソン・リドルとの共演盤で1920年~50年代の楽曲だけで作られていた。今でこそそれなりの評価を得たシンガーがスタンダードアルバムを作ることは珍しいことではないが、あの頃はハリー・二ルソンの「夜のシュミルソン」というアルバムがあったくらいと記憶する(あっ、カーリー・サイモンのものもありました)。ロック・クイーンと思っていたリンダの突然の変心と冷ややかな態度を示すファンが多かったが、あやこは違った。

10代に熱心に聴いた音楽はその人の一生の音楽嗜好を左右する、といった意見があり僕もそれには賛同する。昨年発売されたリンダ・ロンシュタット自伝を読んでも、リンダは幼いころからスタンダードソングを父親から聴かされており、彼女の中にはそれらポップ・スタンダードが染みていたのだ。路線外のアルバムと思われたが、リンダの歌手生活を俯瞰してみるとそれは必然的だった。10代のころあやこにも実はポップ&ロック以上に好きだった音楽があった。それはアストラッド・ジルベルトが歌うボサノヴァ。中学生でジルベルトのコンサートを聴きにいくほどに彼女の音楽に惹かれていた。ボッサ仕立てではあったけど、ジルベルトを通して数多くのスタンダードソングに触れていた。エラ・フィッツジェラルドやアン・バートンなども知りすばらしいメロディたちに心打たれていた。

しかしあやこはスタンダードソングはジャズ・シンガーのもの、自分にはジャズは歌えないとずっと考えていた。しかしこのアルバムでのリンダはメロディーを崩すわけではなく、ジャズ風に歌うわけでもなく、スタンダードソングメロディーの素晴らしさを素直に自然に伸びやかに歌い上げた。リンダを通して再び歌が届けられた。開け放たれた扉の向こうでは、きら星のごとき名曲の数々があやこをいざなった。あやこの中に歌うことへの情熱が再び生まれた。

月日はめぐり、2013年リンダ・ロンシュタットは自伝を発表し、パーキンソン病で思い通りに歌えなくなった、と歌手活動を引退していたことが明らかになった。人生の節目に進むべき道をリンダの歌に導かれたあやこにとって、ショッキングな出来ごとではあったがそれ以上に感謝の気持ちがあった。宮田あやこがスタンダードを歌い始めて30年近くになる。初めにリンダから受けた影響も徐々に自分自身の表現に変わった。しかしスタイルは違ってきてもやはりリンダは素晴らしいと言わざるを得ない。歌うことはもちろん、生き方も素敵だった。

そんなことで企画されたのが、リンダ・ロンシュタットへのオマージュコンサート。宮田あやこコンサート2014 A Tribute to Linda Ronstadt「リンダ・ロンシュタットに捧ぐ」。宮田あやことリンダのレパートリーの内、重なる曲が50曲ほどもある。今構成選曲中だが、普段歌っているポップ・スタンダードはもちろんのことアマチュア時代によく歌っていたリンダの曲を多く歌おうと思っている。一曲だけお教えすれば、リンダの十八番で、長年この曲だけには手を出せないと考えていたリンダの名唱中の名唱曲「Blue Bayou(ブルー・バイユー)」をうたうつもりだ。力強いファルセットはリンダの魅力だが、ファルセットを使わない唱法で宮田あやこの「ブルー・バイユー」がどう表現されるか。ロイ・オービソンの郷愁あふれるこの曲をどう料理するのか楽しみにしていただきたい。1970年代の音楽に心打たれた方、ポップ・スタンダードの魅力にとらわれている方、何よりリンダ・ロンシュタットを愛した方、多くの方のご来場をお待ちしています。

宮田あやこコンサート2014
A Tribute To Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタットに捧ぐ)
●2014年10月13日(月・祝日)
●17時開演
●ターミナルプラザことにPATOS
札幌市西区琴似1条4丁目地下鉄東西線地下二階(西改札口徒歩30秒)
●前売り券¥4,000 当日券¥4,500
 大丸プレイガイド、道新プレイガイド、BAR GERSHWINにて発売
●出演
 宮田あやこ ヴォーカル
 山下泰司  ピアノ、コーラス&編曲
 釜鈴徹   ウッド&エレクトリックベース
 出田寿一  ドラム&パーカッション
 古舘賢治  ギター&コーラス

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明日からちゃんとするぞ!中尾淳乙「AMERICANA」を聴いた

リンダ・ロンシュタットがようやくロックの殿堂(Rock&Roll Hall Of Fame2014)入りをした。その授賞式がこの4月10日に行われ、リンダ欠席により、代わってボニー・レイット、エミールー・ハリス、スティービー・ニックス、キャリー・アンダーウッド、シェリル・クロウなどによりリンダの代表曲が演奏された。バック・コーラスにはグレン・フライ、ギターにはワディ・ワクテルの姿も・・。リハーサル不足は否めないが、リンダへの敬意と愛情を感ずる心温まるパフォーマンスだった。かつて権威とは対極にあったはずのロックが殿堂をこしらえ、「殿堂入りになど全然こだわっていない」権威を笠に着ないリンダの発言は実にかつてのロックそのものだった。

そんなリンダの受賞を記念してリンダ・ロンシュタット「デュエット(Rhino)」が発売された。たいして期待せずに聞いたが、ベストアルバムとは違った趣きがあり意外に楽しめた。そこで改めて強く感じたのはリンダのカントリー、ルーツミュージックテイストだ。アルバム冒頭1~3曲目を飾るのは、リンダの最後となったアルバム「ADIEU FALSE HEART」よりアン・サヴォイとのデュエット曲。ロックの殿堂入りする幸運な音楽家がいる一方、ローカルな地域で活動し音楽を心から愛する音楽家たちはこの世界に数多く点在する。ルイジアナを中心に活動しているアンとの温かな歌の交流はリンダの最後のアルバムとしてふさわしいものであったように思う。このアルバム曲で「デュエット」でも取り上げられた「I Can’t Get Over You」という曲はジュリー・ミラー(ブラウン)という女性シンガーによってかかれたものだ。アメリカ南部のルーツ・ミュージックに敬意を表したカントリー・ソングを「AMERICANAアメリカーナ」と呼ぶそうなのだが、ジュリーはそんな音楽家の一人だ。最近のカントリー音楽事情に疎くアメリカーナなる音楽ジャンルがあることをこのアルバムで知った。


同じくこの4月に「AMERICANA」というタイトルのアルバムを発表した日本人ミュージシャンがいる。中尾淳乙(JUNICHI NAKAO)がその人。1976年にアルバム・デビューしたオレンジ・カウンティ・ブラザーズというバンドでギターを弾き、その後も音楽家、プロデューサー、ミキサーとして音楽を生み出し続けている男だ。アメリカ・マーケット進出を図ったZZトップばりの骨太ロックバンドFandango、ルーツ・ミュージックを追求したDancing Feetを結成したり、再結成されたオレンジ・カウンティ・ブラザーズにも時々参加している。

この日本で40年ほどアメリカ南部のカントリー&ロックを演奏し続けている彼の心意気がこの「AMERICANA」というタイトルには込められている。アメリカ南部(テキサス/メキシコ)を舞台にした映画の一シーンの映像が浮かぶような歌詞にドブロ、ハーモニカ、アコースティック・ギターなど彼の多重演奏と気心の知れた音楽家とのリラックスした演奏が繰り広げられる。彼の珠玉のテレキャスター・ピッキンも健在だ。このアルバムではテクニックをひけらかさない地味とも思えるほどの奏法だが、テレキャスターを知り尽くしているギタリストにしか表現できない世界を聴くことができる。

がしかし、この初のソロアルバムではまずシンガー&ソングライターとしての彼がいる。ほぼ全曲が日本語による自作だ。テレキャスターの6弦にベースギターの2弦をはりぶっとい音を響かせるギターが印象的で間奏のロックンロールギターがかっこいい「ちゃんとするから、あしたから」と言い訳する男が主人公の曲(Chanto Chanto)。ケイジャンフィドル鳴り響く演奏の中、未練を言い続ける男(Bad Sign)浮気現場を見つけられ男から一発くらい、部屋を逃げ出しアスファルト道路の白線を走り続ける男(Running On The White Line)。女からの追及に言葉を失くす男(Men Don’t Talk)汽車で放浪を続ける男(Keep On Truckin’ )どこかニ―ル・ヤングのカントリー曲を彷彿させる、酒場で暮らすぐうたら男(A Friend In El Garcino)オレンジ・カウンティの世界にも通じるアウトロ―(はみ出し男)の見本集のような作品に混ざってジャグミュージック風に演奏される息子が初めてしゃべった言葉(Zee Zee Jai Jai)「愛を知り、永遠を知る どこかに行きつき、何かをえる」(Life)など人生の機微をうたう歌がそっと混じる。オレンジ・カウンティでは描き切れなかった深く洒脱な表現を随所に聴くことができる。演奏もオレンジ・カウンティの再現を注意深く避けている印象がある。

中尾淳乙氏とは個人的な知己を得て40年を超える。この30年間は東京/札幌と距離もあり、お互い何かと多忙で連絡しあう機会はなかなか持てなかったが、若いころの生き方を貫く彼の生き方は、どこか眩しかった。離れていても存在は常に意識していた。たくさんのものを捨てながら人は大人になっていくものだが、彼は自分の大切なものを決して手放しはしなかった。このアルバムでの豊潤な音楽の世界はそんな彼の生き方があってこそのものだ。

アルバム最後の曲はインストロメンタル曲「Dawn At The Canyon」。日本的ともいえる情緒をたたえた曲にも聴こえるが、聴き進むとマカロニ・ウエスタン(エンニオ・モリコーネ)、60’sギターインストなどの音楽性が混在し摩訶不思議な無国籍な世界を聴くことができる。彼が音楽に目覚めてから50年かけて熟成された世界だ。クエンティン・タランティーノがこの曲を見つけ映画で使ってくれないものか。
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音源に添えられたアルバム画はオレンジ・カウンティのすべてのジャケット画を手掛けている、奥様のKIKKOさんによって描かれたもの。「Dawn(夜明け)」と題された、砂漠の朝焼けに屹立する巨大なサボテン画。彼にとって今はまさに夜明けの時なのかもしれないと想像するに難くない、素敵な画だ

アルバムはAMAZON iTUNESでダウンロード購入することができる。60年代70年代にアメリカ音楽を聴いた方、カントリー音楽が好きな方、ロックン・ロールCAN NEVER DIEとかつて思っていた方、いや音楽好きの皆さんすべて、どうぞ一聴あれ。ちゃんとするぞ、明日から!元気をもらえます。

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Rolling Stone誌で恒例のベスト100 2014発表

米国Rolling Stone誌が好評のベスト100シリーズ2014を発表しました。

今回はカヴァー・ソングベスト100とビートルズ・カヴァーベスト100。
You Tubeを活用し、世界中の音楽ライターからの集計によっています。
日本からはピーター・バカラン氏や天辰正和氏、福田一郎氏などが参加しているようです。
ざっと眺めてみると

カヴァー・ソングベスト100
前記がカヴァー 後記がオリジナル。

1Mr. Tambourine Man    Byrds Bob Dylan
2.Blue Bayou      Linda Ronstadt Roy Orbison
3.Without You      Nilsson Bad Finger
4.Keep Me Hanging On     Vanilla Fudge  Supreme
5. Desperado         Linda Ronstadt The Eagles
6.He’s So Fine       George Harrison The Chiffons
7.Baby It’s You       The Smith  The Shirelles

以上が上位7曲。Rolling Stone誌にあまり好かれていなかったリンダ・ロンシュタットが二曲も上位に入ってきたのは意外です。
72位にSound of Silence 由紀さおり Simon&Garfunkle
96位にSummer Wine 藤圭子 Nancy Sinatra&Lee Hazlewood
がランクインしましたが,投票者の方何か勘違いしているような・・。

ビートルズ・カヴァー100は

1. With A Little Help From My Friend Joe Cocker
2. Rain Todd Rundgren
3. Yellow Submarine Akiko Kanazawa(金沢明子)
4. Jealous Guy Danny Hathaway
5. Hold Me Tight Treasures
6. Helter Skelter  U2


が上位6曲。
「イエロー・サブマリーン音頭 」金沢明子 大瀧詠一プロデュース、荻原哲晶編曲
の上位入賞は日本人の誇りですね。

ちなみに日本関係では
This Boy Ayako Miyata(宮田あやこ)が28位。

The Long And Winding Road    Ayako Miyata(宮田あやこ)69位。
Norwegian Wood           白鳥恵美子  92位。

Rolling Stone誌編集部が世界中のYou Tubeをチェックし厳選した結果
幅広く選曲できたようです。
しかし、宮田あやこに関しては、この順位は到底納得できない。
先日抗議文を送付しました。

しかしこの企画はまた続けてほしいですね。


2014年4月1日記

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引き継がれるもの

佐村河内守氏のゴーストライター問題が世間をにぎわせている。いくつかの問題点が混在し話を複雑にしているが、真の作者は誰か?という一点に関していえば、ゴーストライター氏の発言を100%信じるとすると、作品は佐村河内氏とゴーストライター氏の共作ということになるのではないか。プロデューサーと作曲家との関係と言ったほうがより適切と思われるが、そのラインの曖昧さはあらゆる表現にみられるものである。最初から共作ということにしていればここまで騒ぎは大きくならなかった。

ポピュラー音楽の世界において共作は当たり前のことである。歌詞があるのでますますその境界線はあいまいになってしまうが、たとえば最近出版されたバート・バカラック自伝「THE LOOK OF LOVE」(ANYONE WHO HAD A HEARTが原題、こっちのほうがずっといいぞ)を読むと、バカラック、クリストファー・クロス、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレン共作による「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」。ピーター・アレンは「When You Get Caught The Moon And New York City」という一行提供しただけだそうである。しかもその歌詞はこの曲のためではなく違う曲に用意されていた詞で、キャロル・ベイヤー・セイガーが「使ってもいい?」とお願いしたら、クレジットされるならとピーター・アレンが応じたという。その一行がこの曲にとって重要なものになるから(後でトラブルにならないようにとの配慮も・・)他の作者たちもクレジットを認めた。その一行の歌詞が、その一節のメロディーが曲の出来を左右してしまう場合があるというのは、音楽ファンなら誰でも思い当たるであろう。

昨年末亡くなった大瀧詠一氏は、彼の作品は彼が影響を受けてきた楽曲の中から生まれてきたことを隠さなかった。というか作品というものはそうやって生まれるものだということを身をもって示していた。天才とは自らが影響を受けた作品の新たな展開を示したものに贈られる称号であって、誰の影響下にもないと宣言することほどいかがわしいことはない。作曲/編曲だけじゃない、歌手リンダ・ロンシュタットはその自伝でレイ・チャールズはナット・キング・コール、ランディ・ニューマンはファッツ・ドミノ、エイミー・ワイン・ハウスはダイナ・ワシントン、ビリー・ホリデイ、マリア・カラスはローザ・ポンセルからの影響があり、トム・ペティはミック・ジャガーのブリティッシュ・アクセント、ロバート・ジョンソンのミシシッピ・デルタ・ブルース、バーズのロジャー・マッギンの影響下にあり、マッギンンはボブ・ディランの、ディランはウッディ・ガスリーがいたからこそある、と書く。

ある音楽表彰式、ビートルズが受賞しそのスピーチで小野洋子が「すべてがビートルズから始まった」と発言した様子を見たことがある。ある世代にとっては確かにそうかもしれないが、ポピュラーミュージックの歴史を俯瞰すればそれは思い上がった発言でしかない。先の大瀧詠一氏は彼の作品一曲の中に20曲の影響を見つけたらその人にイエロー・サブマリン音頭を歌ってあげると生前語っていた(最後の部分は宮田脚色)。それほどに過去の楽曲が彼の中で血と肉となっていたのだ。

ジョージ・ガーシュウィン作曲の管弦楽曲「ラプソディ・イン・ブルー」。20世紀を代表する一曲と言われているが、ガーシュウィンはメロディーを作っているだけだ。あの壮大なオーケストレーションはファーディ・グローフェという別の人物が行っている。ガーシュウィンはこの時点でオーケストレーションする能力がなかったのだ。だがしかしこの曲における圧倒的なメロディーにより誰もがガーシュウィンの曲と疑うことはない。ガーシュウィンはパリに出かけラベルに教えを請うたりしつつ(体よく断られるが)オーケストレーションを学び「へ長調のピアノ協奏曲」「パリのアメリカ人」などの傑作をものにする。

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