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宮田あやこ CD「ADIOS LIVE in TOKYO」完成

36年前の1980年7月21日、僕は当時やっていたcafé&bar CASEY JONESのお客さんたちとおんぼろバスを貸切り、総勢20数名で厚田町あたりの海へ出かけた。その年は寒い夏でその日も薄日の差す20度をやっと超すくらいの気候だった。しかし若者ぞろいの海水浴は寒さなんかへいちゃらで、潜ってウニを採ったり、ジンギスカンをしたり、ビール缶でパーカッション合戦をしたり、青春を(僕はちょっと年を取っていたけどまだ20代だった)謳歌した。宮田あやこはそこにはいなかった。なぜならその日は彼女のデビュー・アルバム「LADY MOCKIN BIRD(エピック・ソニー)」の発売日で東京にいたからだ。そんな大切な日に札幌で海水浴に浮かれていて僕はどこか後ろめたかったのか、前日まで一日二箱は吸っていたハイライトをその日禁煙した。その日以来僕はタバコを吸っていない。

自分の人生を季節に例えれば1980年はまさに真夏だった。燦々と太陽光が降り注ぎ、怖いもの知らずで、時間は使い切れないくらいあった。失うものなど何もなかったし、怖くなかった。しかし、終わりのない夏がないように、いつか季節は移ろう。その後多くの責任を負う人生が待ち受けていた。

あやこのニューアルバム「ADIOS LIVE in TOKYO」の発売日が7月21日となった。別にその日を意識したわけではない、CD製作をしている台湾の工場が台風の影響で閉鎖され、CD到着が7月20日になると業者から連絡が来たからだ。でもその偶然にちょっぴり因縁めいたものを感じ嬉しかった

宮田あやこ東京ライブは5月29日、30日の二夜行われた。休憩を入れ3時間近くのライブにもかかわらずお客さんは退屈せず皆満足そうにニコニコとして会場をあとにした。長年ライブを企画していると、ライブ終了後のみなさんのお顔でおおよそライブの評価がわかる。記録用に録音された音源を何日かして聴いてみた。驚いた。何曲かはすごいエネルギーを伴っていた。この日のため集まった細井豊、マイク・ダン、山下泰司の熱い演奏と、観客との温かな交流が、あやこに普段以上の力を与えたようだ。この音源を残すのは僕の役目、と思い立つのにそんなに時間はかからなかった。30日の演奏をそのまま収録することにした。しかし一曲一回さらっただけのリハーサル、前日一日ライブを終えていたとはいえ、ミスが何箇所もあるし、さすがにちょっと逡巡した。ライブCDを制作するなど暴挙といえるかもしれない。

当日会場に観客として来ていたあやこデビュー時のプロデュース&エンジニアリングの松本裕氏から自宅に電話があった。ライブの出来の素晴らしさを伝えたかった、といった内容の電話だった。その場で閃きライブ音源CD化に向けてマスタリング/編集をお願いできないか申し出た。その場で快諾していただけ、ライブCD実現に向け舵を切った。36年ぶりの再会、そして共同作業。フルサークルという言葉がある。人生一周りしてまた新たな地平が開けるといった意味だが、そんな人生の摂理を感じた瞬間だった。

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リンダ・ロンシュタットがパーキンソン病により歌手引退宣言をしていたこと、キャロル・キングが「ジェイムス・テイラーとのコンサートでもう思い残すことはない」、と実質引退をしていること。さらにグレン・フライの突然の死去。前を歩いていると思っていたミュージシャンが次々といなくなってしまう。東京ライブの2部はそんな偉大な音楽家に敬意を表したアメリカ西海岸トリビュート的な構成にした。そしてライブCDはこの2部をそっくり収録している(あやこオリジナル「ALASKA」はカット)。「名曲を集めただけでしょ」、言いたい人には言わせておこう。どれだけこれらの曲が大切なものだったか分かる人にはわかる。

「ADIOS」のページをGERSHWIN HP上に作った。興味のある方はこちらもどうぞご覧下さい。http://bar-gershwin.com/adios/そこに素敵な一文を寄せてくれたのは現在札幌に住む中学校1年生で知り合って以来の友人、音楽ジャーナリスト山本智志君。宮田あやこの36年前のデビューアルバムのライナーノーツは山本君の奥様で音楽評論家水木まりさんにより書かれた。温かだったが辛辣でもあった。エピック担当者は素晴らしい一文と掲載した。そこで彼女はあやこの歌はまだ稚拙だが、歌い続けることが大切と書いた。歌い続けた36年の結果が今回の「ADIOS」である。

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