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「パンとあこがれ」と宇津宮雅代

前回のブログ「やすらぎの郷と八千草薫さん」を書くための下調べをしていたら、今年1月脚本家山田太一さんが脳出血で倒れたという記事を見つけた。命には別状なく、インタビューに応えられるほどには回復したのだけど、脚本はもう書かないと断筆宣言されているそうだ。


僕にとって倉本聰さん同様毎作を楽しみにしてきた脚本家だっただけに、彼の作品を二度と見られないならこんな寂しいことはない。


八千草薫が不倫主婦を演じた「岸辺のアルバム。」田中裕子、森昌子、古手川祐子らが出演した「想い出づくり。」中井貴一らの「ふぞろいの林檎たち」など連続ドラマのみならず、単発のドラマにおいても展開が尋常でない問題作ばかりを書いた。


そんな名作群の中にあって僕にとって最もインパクトある山田太一作品は、彼が30代のころに書き下ろした「パンとあこがれ」だ。TBS系列で1969年3月~9月に昼の帯ドラマで放送されたもの。受験生にも関わらず、勉強に集中せず日々怠惰に過ごしていた時期、このドラマに巡りあった。


「パンとあこがれ」は新宿中村屋を夫と共に創業した相馬黒光の半生を描いたものなのだが、昼食時主婦向けの平和な時間枠に放映されるドラマとしては型破りだった。山田太一が「なんの束縛もなかった」と語っているように、明治初頭生まれの相馬黒光の奔放な生き方をこれでもかとばかりに書き連ねた。


主人公の吉本綾(役名)は10代だった自分にとって衝撃的すぎるほどの女性だった。彼女の存在から情けない自分を十二分に意識せざるを得なかった。綾を演じたのは文学座の新人女優だった21歳の宇津宮雅代。「ドラマの進行とともにめきめききれいになっていった(山田太一談)とあるように、ドラマでは妙齢の女性が「女」に成長していくまさにその瞬間が捉えられていた。黒光と宇津宮雅代の虜になった僕は地元新聞紙の読者テレビ評欄に「女の息の音が聞こえてくるようなドラマである」とわかったようなことを書き掲載されたり、生まれて初めてファンレターを書いた(投函はしなかったように思う)。

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自分が将来娘を持つことがあったら「綾」と名付けようと決めた。それから十数年後娘を持ったが「綾」という名にはならなかった。なぜなら「綾子」という名の妻を持ってしまっていたからだ(^^)。


宇津宮雅代のことを調べていたら、高崎俊夫という方のブログにいきあたった。フリーの書籍編集者であり映画/ジャズのライターでもある。僕の所有している「60年代アメリカ映画(芸術新聞社)」に「60年代映画とジャズをめぐる私的断章」という素晴らしい一文を寄せている。この方が編集者として1960~80年代、偉大なスポーツ/芸術の書き手にして小説家でもある虫明亜呂無のエッセイ集二冊を編纂し2009年に上梓していていることがわかった。


「女の足指と電話機・・回想の女優たち」「仮面の女と愛の輪廻」の二冊である。虫明亜呂無は宇津宮雅代の両親と学友でデビュー時から目にかけていて、彼女に関していくつもの文章を残しているそうだ。「女の足指と・・」とのタイトルは彼女の舞台のあるシーンから名付けられている。熱烈な宇津宮雅代ファンを自認する高崎俊夫さんが編者だからこそ実現したタイトルであるのかもしれない。

「彼女から、女の心理だとか、女の感受性、女の美意識、女の恋愛感情、などつぶさに教えてもらった。」「彼女と生肉を食し、チバス・リーガルを飲み交わし、ジターヌ・ブルーを吸った。」虫明氏が宇津宮雅代を語った文章である。女性の心理、生理を熟知している氏にここまで書かせる、宇津宮雅代はいったいどういった女性なのだろう。


「パンとあこがれ」から幾星霜。僕の中で別々にあったパズルのピースが連なり始めた。虫明亜呂無さんのことなどいずれまた・・。

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やすらぎの郷と八千草薫さん

テレビ朝日系列で毎週月~金昼12時30分から放送されている「やすらぎの郷」を楽しみに見ている。脚本家倉本聰が書き下ろした、テレビの発展に貢献した人のみが入居できる老人施設を舞台にしたドラマだ。


往年の俳優たちが老人役で顔を揃える。八千草薫、石坂浩二、浅丘ルリ子、加賀まりこ、野際陽子、五月みどり、有馬稲子、山本圭、藤竜也などなど。


若者向けトレンディ・ドラマがはびこる中、真昼間から老人群像ドラマ放映に踏み切ったテレビ朝日と売り込んだ倉本聰に拍手を送りたい。


倉本聰が脚本を書いたドラマには楽しませてもらってきた。初めて彼の名を印象づけられたのは1974~75年にかけて放映された、加東大介主演で遺作ともなった「六羽のかもめ」。ヴィデオのない時代、同時刻に萩原健一、水谷豊出演の「傷だらけの天使」が放映されていたが「六羽のかもめ」に僕はチャンネルを合わせた。続く「前略おふくろ様」も圧倒的面白さで、それ以来倉本聰ドラマのとりこになり現在に至る。


倉本が八千草薫主演のドラマを企画していると何年か前どこかの記事で見た。大女優であるにも関わらず庶民的な役でテレビにもなんの偏見なく出演し続けた八千草薫は倉本ドラマの重要な役者でもあったのだ。倉本はそんな八千草がどれほどに美しく魅力ある女優であり、かつ素晴らしい女性であったかを作品として留めておきたいのだと僕は理解し、その実現を心待ちにした。


それがこの「やすらぎの郷」だったのだ。今現在ドラマはあと一ヶ月を残すのみ。八千草演ずる「姫」こと九条摂子が不治の病で余命一ヶ月という事実が明らかになったところまで話は展開して来た。多くの名俳優たちが演じたこの群像ドラマであるが、倉本が一番書きたかったのは八千草薫が演じる往年の名女優九条摂子であるのは明らかだ。またほかの出演者たちもその気持ちを汲み八千草に特別な敬意を持ち演技している。


僕個人も昭和40年代札幌遊楽館地下劇場で日伊合作「蝶々夫人(1955)」の予告編を見て主演の八千草薫のその清楚な美しさに打たれて以来、密かにファンを続けてきた。余談だが「蝶々夫人」はローマのチネチッタスタジオで撮影されているのだけど、前年同スタジオでオードリー・ヘップバーン主演「ローマの休日」が作られている。二歳違いのふたりが同じような歩みをしたのは符号なのか・・?


1970年代はじめ進学で上京した僕は、新宿のアドホックビル(だったと思う)のどこかの場所で友人と待ち合わせをした。待ち合わせ場所が見つからなかった僕はあるブティックの店員に場所を尋ねようと声をかけた。振り向いたその店員とおぼしき女性は「わたくし、店員ではありませんのよ。」とニッコリ微笑んだ。


その女性はまぎれもない八千草薫だった。当時40歳ほどだった彼女だが、僕が店員と間違えるくらいだから服装はカジュアルだったし、年齢よりずっと若く見えた。夢か現実か、東京に住み始めてほどない田舎者にとってはあんまりの洗礼だった。固まり真っ白になった僕はなんの言葉を発することもできずに、その場を立ち去った。
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さして誇れる思い出話のない僕にとって、八千草薫さんとの遭遇は最大の自慢話である。


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