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虫明亜呂無氏 知の巨人

虫明亜呂無氏を知ったのはいつの頃だったか、今では思い出せないが、記録映画「札幌オリンピック(1972年篠田正浩監督)」の脚本に虫明氏が参加すると知って興奮した覚えがあるので、その時点で虫明氏の文章に感化されていたことは間違いない。

虫明亜呂無、一見奇妙な名前は本名だそうである。1923年に生まれ,1960,70,80年代、主にスポーツ論、芸術論、文化論、女性論、小説で名を成した。知の巨人である。彼の著作の多くは「映画評論」「キネマ旬報」「話の特集」「スポーツニッポン」「競馬新聞」など専門誌、雑誌、スポーツ新聞に書かれた。氏の著作は数冊を残し死後絶版となっていたが、現在は玉木正之氏が主に競馬論、スポーツ論を中心に編纂した「肉体への憎しみ」「野を駆ける光」「時さえ忘れて」3冊の本と、高崎俊夫氏が主に映画、音楽、小説、舞台、女優などを論じた散文を編纂した「女の足指と電話機 回想の女たち」「仮面の女と愛の輪廻」の2冊で氏の著述の主たるものを読むことができる。小説では短編集「パスキンの女た」](高崎俊夫編)が入手できる。


洞察力と表現力に圧倒される氏のスポーツ論にあって、時代に翻弄された天才陸上アスリート人見絹枝さんを書いた「大理石の碑」の美しさとはかなさは筆舌に尽くしがたい。虫明氏は悲劇的かつ激動の24年の生涯を生きた人見さんの墓を訪ね、父親に家に招き入れられ彼女の写真、遺品を見る。残されたブレザーコートに息づく人見絹枝を心で抱く。氏はこの文章で「スポーツは所詮エロチシズムの変形にすぎない」と断ずる。虫明氏の著作に時には朧げに、時には濃密に漂う性の気配は氏のロマンチシズムの極致であるが、氏の文筆の主題をここまで言い切らせたのは、人見絹枝という人物の存在の大きさだ。


虫明氏の名文を紹介していては夜が明けてしまう。是非一読をおすすめする。玉木正之氏は「ともすれば”人間ドラマ”という安直な置換えが主流を占めるこの国のスポーツジャーナリズム世界にあって、まさに強烈な光彩を放っている。」高崎俊夫氏は「虫明亜呂無のエッセイは読む者の裡にさまざまな想像力を誘発する。その<古さを感じさせない、清心で瑞々しい、華麗な散文>を存分に味わっていただきたい。」とあとがきで書く。


最後に、僕の個人的な話を。10代の頃の僕に強い印象を与えた虫明氏の文章があった。50年近くの月日が経過し、いったいこの文章は実在したのかと自問したくなるほど記憶は曖昧だが、虫明氏がフランスに逗留中どこかのリゾート地でまだ無名だったフェイ・ダナウエイに遭遇する話のことだ。そこで二人は親密になり様々なことを語り合ったという。それに酷似したエピソードがそののち1960年代を象徴する女優にまでなったフェイの主演映画「ルーという女(1972)」に東洋人(日本人と思われる)と遭遇する場面として思わせぶりに描かれていたのだ。この映画はファッションモデルを描いた内容で、フェイの実話ではないけれど後にフェイと結婚する脚本/監督ジェリー・シャッツバーグ(作品にスケアクロウなどがある)の作品なので、フェイの実際の話がストーリーとして採用された可能性はある。虫明氏の単行本未収録の膨大な原稿が眠っているという。どなたかこの因果関係の是非を証明してはくれないだろうか(僕の老人性記憶書き換えでないことを願う)。


頭髪薄く、さしたる美形でもない虫明氏、鈍感な一凡人男性には推し量れない、知性の裏付けある性的魅力をそのうちに秘めていたのだろう。
 
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虫明亜呂無1983年60歳で脳血栓に倒れ、文筆に復帰することなく、長い闘病生活の後、1991年68歳で死去。

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