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「洋楽グラフィティー」見るのが辛いです

50年~60年ほど前、札幌円山動物園では4月の開園日に(今は年中開いているそう)少年少女たちにヒヨコのプレゼントがあった。一人に何十羽と振舞われた。家に持ち帰り育てようとするのだけど、だいたい数日で全羽死んでしまう。それでもあまりの可愛さに性懲りもなく毎年もらいに行ったものだ。ところがある年8歳違いの妹がもらってきたヒヨコが一羽死なずに育ってしまった。まさか育つと思っていなかった親はしょうがなく物置の一部を鳥小屋に改造した。


ヒヨコのうちこそ可愛かったこの鶏は成長するにつれ獰猛になり、誰かまわず戦闘態勢に入るようになった。怖くて誰も近寄れなかったのだけど、妹だけには穏やかにまるで別鳥?のようになつくのだ。呼ばれたら必死に妹の姿を探し、見つけたら後をちょんちょんと付いて歩く。不思議でならなかった。確かに妹は家で飼っていた犬(ちん)に求愛行動されたり、動物好きではあったけれど・・後になってわかったのだが、この鶏の妹に対する行動は「刷り込み」といって、生まれて初めて目にしたものを親とみなす鶏の習性なのだそうだ。


NHK BS3で何度も再放送されている「洋楽グラフィティー」の1960年代のある回を見ていたら、妻に「この人たちどこが良かったの?」と質問されてしまい困惑した。妻とは数歳の違いがあり、10代だったあの頃の数年は結構大きなタイムラグがある。音楽としてちゃんと聴いていなかったものをあの映像で初めて見せられては、この感想もいたし方ないと思った。カメラワークは稚拙で、バンドのメンバーたちもカメラの前で悪ふざけしているだけのものが多く、演出&映像のセンスのカケラもないものばかりなのだ。幻滅の我が少年期のヒーローたち。ビーチ・ボーイズ、タートルズ、ヤードバーズなどは特にひどい。自らの音楽を冒涜している映像だ。しかし、あの時代に自分がこれらの映像を見ていたらどう感じていたのだろう。YOU TUBEなどない時代、動くミュージシャンの姿を見ただけで興奮、「かっこいい」と刷り込まれていただろう。


少年少女期の夢は大切にしたいけど、いつか人は現実を知り、夢は終わる。「刷り込み」度合いの強かった者ほどその時期は遅れるが、たとえ社会から取り残されても(大人になれなくとも)そのほうが幸せ、という考え方だってある。そういった人へのシンパシーから芸術、スポーツ、あらゆる表現活動は成り立っているのではないか。少なくともロック・ミュージックはそうだ。しかし、その音楽はエヴァー・グリーンだが、映像は残酷だ。当時の現実を突きつけてくる。


音楽のヒーローはただのやんちゃ坊主だった、では困るのだ。そんなお猿さんたちを思春期にヒーローとして刷り込まれてしまった自分は幸せなのか、否か。この歳になり腕組みため息の日々であります。


30代に聴いて感動した歌ですが。


夢のひとつひとつを
消してゆくのはつらいけど
若すぎて何だかわからなかったことが
リアルに感じてしまうこの頃さ

「SOMEDAY」 佐野元春

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