« October 2018 | Main | April 2019 »

CASEY JONES ,YOU'D BETTER WATCH YOUR SPEED

昨年末からBAR GERSHWINでは、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の話題で持ちきりである。あいにく僕はクイーンと聞いても心躍らない音楽世代である。ギターが爆音を響かせヴォーカリストがわめき叫ぶ、いわゆるハード・ロックには僕もある時期魅了されたことがある。1971年グランド・ファンク・レイルロード後楽園球場コンサート、レッド・ツェッペリン初来日コンサートには、嬉々として出かけたものだが、ディープ・パープルがブイブイ言わせ始めた頃にはすでにハード・ロックに食傷気味だった。クイーンはさらにその次のグループだ。ブルースの発展形である初期のツェッペリンは今でも聴く。カッコよさエッチ臭さがストレートに伝わって気持ちよい。クイーンは音楽のごった煮感変態度がすごいといえばすごい。多感な時期の音楽との出会いはその人の一生の嗜好をも支配してしまう。そんな時期に残念ながら彼らに出会えなかった。映画はまだ観ていないが、いつか観てみたい。

Bohemian

Erikkukuraputonn


「エリック・クラプトン~12小節の人生~」は映画館で観てきた。途中何度か睡魔に襲われたが、考えさせられる映画だった。私生児として生まれ母親に見捨てられ、祖父母が親だと育つ。少年期にその嘘を知り心に傷を負ったことが酒と麻薬におぼれる壮絶なその後の彼の人生を支配する。一個人として幸せだったかはわからないが、音楽家としてはラッキーな人だった。1976年札幌コンサートを観ているが、酒でべろべろのステージにもかかわらず観客は拍手喝采。誰も音楽など聴いていなかったのだ。そんなライブが続けば演奏もいい加減になるのだろう。しかしファンはそんな人としての弱さを含め彼の音楽に接していたようにも思う。


Vynil

ミック・ジャガー制作,マーチン・スコセッシ演出、ミック・ジャガーの息子が役者デビュー、などで話題となったTVシリーズ「VINYLヴァイナル」を観た。ロックがビックビジネス化され、金と女と麻薬にまみれた1970年代初頭を架空のレコード会社を舞台に描かれたこのドラマは実在した音楽家たちも登場(スティーブン・スティルスのそっくりさんには笑った)するなどし、マーチン・スコセッシ演出の第一回こそ順調なスタートだったが、あの混とんとした時代を描き切れず、ドラマ自体が麻薬にやられたかのようなカオスに陥り、尻切れトンボの内容のままシリーズ1(10話)で打ち切りとなってしまった。音楽家も制作者もいっちゃってたあの時代のエネルギーは伝わってきた作品ではあった。。


AMAZON PRIME制作の「LONG STRANGE TRIP」を観た。マーチン・スコセッシ監修の全六回からなるグレイトフル・デッド の歴史を描いたドキュメンタリーだ。これは面白かった。1965年アメリカ/サンフランシスコにヒッピー文化花開くときサイケデリックバンドとしてデビューし1995年ジェリー・ガルシアの死去まで続いたグレイトフル・デッド。そのコンサートは毎年100回近く開かれ、すべての会場がSOLD OUT。アメリカ一稼ぐバンドだった。

このドキュメンタリーで改めてグレイトフル・デッドと向かい合い、彼らの音楽の素晴らしさを再確認し、ジェリー・ガルシアという人を思った。「自分の生き方を探してる人のために」ジェリー・ガルシア/チャールズ・ライク/ヤン・ウエンナー対談集、「緑色革命」チャールズ・ライク著などほこりをかぶった大昔の本を取り出し読んで(眺めて)もみた。新鮮だった。あの頃の方が冷ややかに読んでいたかもしれない。片岡義男の訳が分かりやすくてとてもいい。
Photo_2

10年近く前になるが「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」という本がアメリカ/日本で出版され話題になったことがある。ヒッピーの生き方を基本にし続けたグレイトフル・デッドのマーケティングの在り方が、誕生し続けるアメリカIT企業の思想に影響を与えているというのだ。面白い視点だが、デッドビジネスが先端を行ったというより、世の中が一巡りしデッドの手法を上手に取り込んだというべきか。

映画「ウッドストック」でデッドの場面はカットされたが「まるで聖書の中の出来事のようだ」と語るガルシアが大写しされた。それがガルシアとの出会いだった。一聴して彼とわかるギターインプロビゼイションが素晴らしかったし「TEACH YOUR CHILDREN(CSN&Y)」のペダル・スティールも輝いていた。デッドにおけるガルシアの発言はヒッピー思想そのもので、教祖扱いされたが、彼はリーダーを拒み続けた、人を支配する気はさらさらなかった。一日アイスクリーム一個買う金があれば暮らしていけると語る彼にとってビッグビジネスとなったグレイトフル・デッドは重荷だった。彼はただひたすら演奏していたかったのだ。そんな責任からの逃避でオーバー・ドラッグとなり53歳で生涯を終え、グレトフル・デッドも解散した。

1970年代初めのころ、デッドのライブアルバムを手に入れたら、ジャケットにDEAD HEADS(デッドファンの組織)入会案内があった。友人の中尾君(オレンジ・カウンティ・ブラザーズ)と申し込みのハガキを送ってみたら、でたらめな住所名前で返信が届いた。これでよく着いたと中尾君と大笑いしたものだ。当初はいい加減な組織だったようだが、その後のデッドの活動を支えた。昔のDEAD HEADSの名簿が残っていたら、おかしな名前の日本人が一名登録されているはずだ。

僕が20代のころ初めて持った店は「CASEY JONES」といった。Casey_jones_2

殉死した実在のアメリカ伝説の蒸気機関士の名だが、グレイトフル・デッドはコカインでハイになった機関士としてカントリーロック調の歌にしたた。何度聴いても飽きが来ないあの時代の象徴的な曲だった。能天気な時代だったけど、よきにつけ悪しきにつけあの時代は僕の中に取り込まれてしまっている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« October 2018 | Main | April 2019 »